授業として「ダンス」に取り組む意義・目的を、本当に理解できている人は一体どのくらいいるのだろう。2012年より学校教育に取り入れられているダンス。中学1、2年次には必修科目とされている一方で、3年次以降ダンスを選択する生徒は少ないという実態もあり、実は多くの生徒・先生が腑に落ちていない「なぜダンスをやらなければいけないんだろう…」という状態なのではないでしょうか。ダンスを授業にいち早く取り入れていた日本屈指の進学校である聖光学院 工藤校長に、ダンスの意義・目的についてご意見を伺いしました。
(インタビュアー / Gravis 代表 山田康介・山田里菜 ※Gravisは聖光学院のダンス指導を担当)
日本の教育において「目立つ」は「反抗」
ー 本日ですが「ダンスと教育」というテーマでお話を伺えればと思っています。「かっこよく踊ればいい」というイメージで認知が広がっているダンスですが、教育という側面からダンスの意義・目的について深掘りしたく。早くからダンスを授業に取り入れてらっしゃった工藤校長の観点をお聞きしたいです。
工藤校長:
すでに多くの学校でダンスに取り組んでいますよね?そうでもないのですか?
ー まさにそうなのですが、取り組んでいる理由が「必修化になったから」とか「他校がやっているから」であり、ダンスを授業として取り組む意義・目的がフワッとしてしまっています。私たちのようにダンスを教えることを仕事にしてる側もまた意義・目的を見失っているケースが多い印象でして。
工藤校長:
なるほど。ダンスを授業で取り組むようになって、当たり前ですが生徒の踊りは一昔前とくらべ格段にうまくなってますよね。
でもやっぱりダンスの一番の魅力は、自己表現力を磨ける、解放できる部分にあると思ってます。
グローバルではプレゼンテーションする際、身ぶり手ぶりを交え、体全体で伝えたいことを表現することが当たり前になっています。
ですが日本は最初に型を教え込む。まず自己を表現することを封じます。日本舞踊にしてもそう。その影響もあってか、日本人の場合、身ぶり手ぶりを交えて話すことの重要性を感覚的に理解できていない。
なぜ型にはめるのか。そもそも日本の教育には「目立ってはいけない」という考え方が根底にあるからです。日本の教育において、目立つというのは「反抗」だったわけです。
日本の教育の大元は明治時代の寺子屋だと言われますが、あれはうそです。日本人の識字率が高いのは寺子屋のおかげですが、明治政府が国民を教育をしようとした目的は別のところにあります。
まず、方言の矯正。方言があると軍の統制がうまく取れず、戦争に負けてしまいます。そして藩校の流れを汲んでいるのが中学校や高等学校ですから「忠義を尽くせ」「絶対に殿様より目立つな」と教え込むために学校が作られたわけです。
これが日本の教育に伝統的に残っている価値観です。目立ってはいけない、天皇陛下殿様より偉くなってはいけない。ボーダレスな世の中、それでは戦っていけないことなど明白な現代においてもまだ、日本人は古い価値観に縛られたままです。
実際、日本人が海外の大学へ行くとなかなかうまくいかない。日本人は資料や議事録を作って終わり。「個」を前に出そうとする人が少ない。それではキャリアを積み上げていくことはできません。
未だ日本は「目立たず地道に一つのことをどれだけ長く続けてこれたか」を評価する。そんなことは海外では一切評価されません。
「中高6年間、野球部でレギュラーにはなれなかったけど一生懸命頑張りました」では海外では評価されないのです。なぜ結果が出ないことをいつまでも続けていたのか、なぜ自分が得意なことにシフトしなかったのかと批判的に見られてしまう。
目立たず、耐えることを教える日本の教育はもう通じない。日本人も個が強くなっていかなければならない。目立つことを恐れていてはいけない。むしろ、楽しまなければ。
ダンスは、日本の教育が暗に封じてきた「自己表現」を解放する重要なファクターを担っていると思います。
言葉だけでなく、体全体で伝える力の重要性
ー たしかに、目立つことを恐れていてはダンスは楽しめません。ダンスが「目立ってはいけないという日本特有の同調圧力」から解放されるための有効手段なのかもしれないと改めて気づかされました。一点、工藤校長は自己表現において、身体表現がどのくらい重要だとお考えですか?
工藤校長:
プレゼンなど何かを伝える時、身ぶり手ぶりは重要だと考えています。こちらに注目してもらう、話を聞いてもらう努力が必要だからです。
日本の場合「聞かないほうが悪い」という感覚がありますが、それではいけない。聞き手が興味を持っているかどうかおかまいなしに難しい話を長々と話す人、多いですよね。企業でいうと第一線を外れた人にそういった人が多い。理屈を話して終わる人ですね。第一線の人の話はちゃんと面白い。身ぶり手ぶりの重要性を知ってる人が多いです。
スタートアップには身ぶり手ぶりを使って話す人が多い。話しているときの身のこなしが出来ていますが、それはダンスの影響もあるのでないかと思っています。
私もヒップホップを踊っています。聖光学院のホームページにアップされてますが、あれは「聖光学院はダンスも取り入れてますよ」という保護者へのアピール。言葉だけで「ダンスを取り入れています」と言うよりも、実際に校長である私が踊ってみせた方が圧倒的に伝わります。ちなみに学校が商売アピールするなんて何事かと思われるかもしれませんが、高額な授業料をいただくのだから、魅力が伝わるようにアピールすることは当然の責務です。
アメリカの大統領戦などを見ていても、アピール力・プレゼン力の不可欠さを思い知らされますよね。身ぶり手ぶりで聴衆のエモーションを掻き立てている。日本人もパフォーマンスができないと駄目です。郵政民営化を果たした小泉元首相はそれができていましたよね。
ー 人は9割以上の情報を視覚から得ているという話もありますよね。目からの吸収は大きいんでしょうね。言葉だけではない。
工藤校長:
そう、そういった意味では衣装も大事。その衣装を輝かせるために必要になってくるのが、動き。動きが自然に出るかどうかといったところにも、ダンスの影響が出ます。
グローバルでは、政治家に限らず、あらゆる職種の人々にパフォーマンス力が求められている。日本人も、ダンスを通じ、身ぶり手ぶりを交えて伝えた方が伝わるということを学びはじめるべきだと思います。
「体育」として括ると消えてしまう、ダンスの価値
ーダンスの価値について理解が進みました。一点、なぜその価値が世の中に理解されてないのか、お考えを聞かせください。
工藤校長:
いや、いまは分岐点なのではないでしょうか。私の孫たちもダンスをやってますし、ダンスに対して否定的なことを言う保護者も少なくなってきました。これはメディアの影響でしょう。
フィンランド人は英語を話せる人が多いのですが、それもメディアの影響です。フィンランドでは、ディズニーなど海外コンテンツの吹き替え版が放送されていません。人口が少ないため、わざわざフィンランド語の吹き替えを制作してもらえないんですね。でも、おかげで子供たちは英語を自然と覚えてしまう。
メディアの影響はそれほどまでに大きい。私が子供の頃、メディアで見ていたダンスコンテンツと言ったらキャンディーズぐらい。EXILEではなかった。我々の世代が見ていたものは、ダンスというよりも「振り付け」でした。いまの子供たちは本格的なダンスをメディアで、毎日見ているわけです。
我々の世代でいうと習い事と言えば水泳でしたが、いま水泳を習っている子は少なくなりましたよね。学校も、泳げなくてもいいという風に変わってきている。いま子供が習いたい、親が習わせたいのはダンスですよ。
ー 子供が習いたいのはダンスなのに、学校の授業でダンスを選択する生徒は少ない。学校の授業のダンスは生徒のニーズと合致していないということでしょうか?
工藤校長:
そう思います。日本の功罪は、スポーツを「体育」と訳したことにあると考えています。
欧米では、スポーツは「レジャー」。楽しむためのものです。だからアメリカでは、スポーツの時間はただただ楽しくソフトボールなどをしてるだけ。娯楽です。日本の場合は「体を育てる」教育なので、ずっと走らせるなど訓練に重きを置きます。戦前は軍隊の教練だったのです。
だから聖光学院では、スポーツを体育にしてしまわないようにしている。ましてダンスを、従来の体育の考え方で括ってはいけない。型どおりにミスなく踊れた人が良い成績が取れるようにしてしまったらダンス本来の、自己表現を楽しむという目的が見失われてしまいます。
競うのではなく、みんなが体を動かし自己表現を楽しむ。それでいい。それでこそ、ダンスの良さが光る。他のスポーツ、サッカーやバスケなどはどうしても上手な人のところにボールが集まってしまいますが、ダンスは全員平等に体を動かす機会が与えられている。
ダンスもまた「レジャー」であるべき。「体育」にしてはダメなんです。
そのため聖光学院では、採用の際、本チャンの人を絶対の条件にはしていません。本チャンの人とは、国体選手など体育人として身を立ててきた人のことです。本チャンの人はどうしても「上を目指させる」「うまくさせる」「いっちょ揉んでやろう」といった考え方になってしまう。そうすると「体育」になってしまいます。
日本の体育会系の慣習とは切り離し、運動神経の良し悪しに関係なく全員が体を動かすことを楽しめる「レジャー」にすること。その方が健康にも良いです。
ー スポーツ本来の意義である「レジャー」として楽しめていないから、体育に苦手意識を感じる子が産まれてしまう。たしかに。そもそも楽しくないと続きませんよね。つらかったら行きたくなくなってしまう。
工藤校長:
そう、自分のペースでいいんですよ。スポーツとはレジャーなのだから指示されて無理やりやり続けるものではない。30分やって、疲れたら休憩。もっとやりたければ、1時間でも2時間でも好きなだけやる。
特にダンスは自己表現を楽しむためにやるもの。毎日やらないとダメ、何時間続けてやらないとダメ、という義務感とは距離を置くべきです。
抽象的価値がわかる人間の時代
ー 最後に、聖光学院はなぜダンスを早期に、正しい形で柔軟に取り入れることができたのでしょうか?
工藤校長:
子供たちが実際に社会で生きてくのは、10年、15年先です。だから我々の世代がアンテナを高くして、時代の風をしっかりと受け止め、あたらしいことをどんどん取り入れていく学校を創っていくという感覚を大切にしているからだと思います。あとは、時代はどんどん変わっていくので、こちらも走りながら変えていけばいいという考え方です。
ー 工藤校長ご自身は、なぜそのような考え方ができる人になれたのですか?
工藤校長:
私は「あたらしいものは混沌から生まれる」と思っています。秩序だったものからクリエイティブはうまれないという発想がある。
私自身、若いころは作家になりたいと思っていました。同級生と小説を書いたりするグループを作っていましたし、同期には実際作家になった者や、電通でクリエイターとして活躍している者もいます。私自身も、中学校時代、何冊か小説コンクールで賞をいただいたりしていました。だから、クリエイティブに関心があった。
でも結局のところ私には小説を書く才能がなかった。音楽を作る才能もなかった。だから、あたらしい学校・組織を創ることでクリエイティブを発揮した。
クリエイティブとは「他がやっていることはやりたくない」という心根から生まれます。絶えず新しいものを作っていく精神が大切。
だからと言って、狙い過ぎて石橋をたたいていたら時代は変わってしまう。それならば、まずやってみて、走りながら変えていけばいいというのが私の方針です。失敗したら修正すればいいんだと。それを恐れているようでは何もできない。やってダメなら私が辞めればいいだけ。そういう考え方だからか、私が担任した子はマクロミル創業者の杉本、オイシックス代表の高島など、起業家が多いです。
ダンスを早くから取り入れることに抵抗が全くなかったのは、そういったバックボーンがあったからかもしれませんね。
ー まさに、これからの時代に求められている人物像そのものですね。一方で、そういう人はこれまで出る杭は打たれるで踏みつぶされてきてしまった。
工藤校長:
でもそれは、逆に言うとチャンス。我々のようなあたらしい教育は、私学だからできることです。やはり大きな組織である公立では無理です。
走りながらどんどん変えていく前提で、どんどんあたらしいことに取り込んでみる。何が良かったかなんて後になってからわかることです。いろいろと取り組んでいく中で本当に良かったものが、時代を超えて残っていく。それだけです。
ー ダンスの導入については、いち早く取り入れていらっしゃっただけでなく、ダンスの本質的価値を感じ取られていた印象も受けました。
工藤校長:
それはやはり、中学時代に芸術に触れ合っていた影響が大きいのだと思います。
昼休みに、ある先生が学内放送でクラシックを流してくれていたのですが、それが音楽の価値に気付くきっかけになりました。
聖光学院には音楽ホールがあります。相応の費用がかかりましたが、私には音楽の価値とその必要性が理解できていたから竣工に踏み切れたわけです。
その他、いち早く生徒にChromebookを支給したり、ChatGPT4も学校が負担して導入したりしていますが、実はこういったことも、現状の損益だけを考えた合理的な視点だけでは判断できない決断だったりします。
合理的な側面と、感覚的・抽象的な側面からみて価値を推し量れるからこそ下せる決断。ダンスも、お話させて頂いたような抽象的な部分に価値を感じることができたからこそ速やかに導入できたということがあると思います。
つまり、抽象的な思考能力のあるなしでこれほど決断が変わってくるということです。そして、気を付けなければいけないのが、抽象的思考能力がない人間は経済的福利が得られない時代になってきていること。
そんな時代にこそ重要になってくるのが、慈愛のまなざしです。抽象的思考能力のある人間に必要なのは、あらゆる人と慈愛のまなざしを持ってつながっていく力です。
スウェーデンなど北欧の国々は、税金が高い分、中流国家で住みやすい。でも、アメリカは貧富の差が広がっている。日本もこれから貧富の差が開いてきます。
抽象的思考能力を持つ人間は、慈愛のまなざしを持って稼ぐ。そして、貧しい人たちにドネーションしていくという価値観の転換が必要です。
聖光学院は幸い、抽象的思考能力を育む環境を整えることができている。だからこそ私は、学校説明会で生徒たちに「ぬくもりを伝えて」と言っています。マザーテレサの言葉です。
AI・ロボットの進化が著しい時代、人間にしかできないことこそ価値。相手の目を見て、肩に手を触れ、やさしく言葉をかけ、ぬくもりを伝えていくことは人間にしかできません。
そういったことも踏まえ、抽象的思考能力や人間力の向上こそ重要な時代であり、聖光学院はその先頭を行く学校であり続けたいと考えています。
ー 示唆に富んだお話、本当にありがとうございました。
■インタビュー
工藤 誠一 (くどう せいいち)
明治大学法学部卒、同大大学院政治経済学研究科博士前期課程単位取得修了。1978年に母校である聖光学院中学校高等学校に奉職。事務長、教頭を経て2004年、校長就任、2011年から理事長にも就任。さゆり幼稚園園長、静岡聖光学院理事長・校長を兼務。県私立中学高等学校協会、私学退職基金財団、県私立学校教育振興会、横浜YMCAの各理事長、日本私立中学高等学校連合会副会長などの要職を務める。2016年、藍綬褒章を受章。
聖光学院HP:
https://www.seiko.ac.jp/
■インタビュアー
山田 康介 (やまだ こうすけ)
株式会社Gravis 代表取締役社長
1986年生まれ。大学卒業後、日系コンサルティング会社に入社し、約40社20業種のプロジェクトに関わる。父の死をきっかけに独立を決意し、2017年3月にコンサルティング会社を退職。何をやるかは一切決めていない状態で、たまたま妻が出演するチアダンスの発表会を見に行く。そこでチアダンスの可能性を感じ、2017年4月にGravisの代表となって子ども向けチアダンススクール事業を開始。Gravisは現在神奈川・東京・埼玉・千葉で80教室を展開し、会員数は約2000人に上る(2023年12月時点)。
山田 里菜 (やまだ りな)
株式会社Gravis 取締役
11歳よりダンスを始め、バレエ・ジャズ・ヒップホップ・チアダンスを学ぶ。日本チアダンス協会公認インストラクター、またフリーランスのインストラクターとして活動、2012年に株式会社Gravisを設立。 幼児から社会人のダンス指導や、母校玉川大学では指導者として2年連続で全米チアダンス選手権大会部門優勝・コリオグラフィー賞に輝く快挙を達成。 現在はチアダンスの技術指導だけでなく、人材育成、コーチング、チームビルディングとしての側面を研究しながら、ファシリテーターとして広く社会貢献に向け日々アップデートし続けている。
GraviusHP:
https://gravis-dance.co.jp/